SSブログ
ニュース ブログトップ

★いとも簡単に犯罪が起きる日本の現状を憂う [ニュース]



★いとも簡単に犯罪が起きる日本の現状を憂う


29日未明、千葉・野田市のファストフード店で、2人組の男が男性店員に暴行を加え、店の売上金およそ
90万円などを奪って逃走した。男性店員(42)がゴミ捨てに外に出たところ、2人組の男に突然、顔面を殴ら
れた。男らは、男性店員を店に引きずり込むと、はさみのようなものを突きつけ、「金を出せば殺さない」
などと脅し、金庫から売上金およそ90万円と店員の財布を奪い、店員の手足を粘着テープで縛って逃げた。警察は、行方を追っている。
(出典:Yahoo!ニュース引用)


いわゆる強盗事件である。 これは私怨だとかの類ではない。

ファーストフード店において、男二人組が店員に暴力行為を加え、
現金を強奪していったという、何とも浅はかな事件だ。


このようなパターンの事件は近年非常に多くなってきた。
こういった通り魔的な犯行は回避が非常に難しい。


トラブルによるものであれば、何故そのトラブルに至ってしまったのか、
等の原因と反省を踏まえると、案外ひとは、改善もできることはあるけ
れど、このような強盗らの場合はもうどうすることもできない。


何か有効な対策はないのだろうか。
刑罰を重くする以外にない、としても、抑止効果は殆ど無いも同然だ。


テレビのニュースなど殆ど見ない若者が増えている。さらに新聞購読
者も減少傾向である。ましてや新聞の事件記事など注目されないと言
っても過言ではない。


犯罪者は、もし自分が逮捕されたらどういった処罰を受けるのか、
そして社会的信用を失うことへの認識がどの程度解っているのか・・、
常人にはとても理解し難い。


先ごろ、性犯罪(レイプ)に関する刑罰のレベルを上げた、とのことだ
ったのだが、これをきっかけに、他の犯罪へも拡大していくことは必要
だろう。


ところで毎日のように殺人事件が報道されている。
優先すべき課題と言っても多岐にわたるのだが、犯罪の抑止にはあ
らゆる対策を講じなければならないのは言うまでもない。


『全国犯罪被害者の』 

全国犯罪被害者の会(ぜんこくはんざいひがいしゃのかい)は、「犯罪被害者の権利確立」「被害回復制度の確立」「被害者の支援」を柱に、2000年1月23日に開催された第1回シンポジウム「犯罪被害者は訴える」を通して結成された任意団体であり、「死刑賛成・維持・推進姿勢」をとる団体である。

(設立経緯) 前身は2000年(平成12年)1月23日に光市母子殺害事件の被害者遺族である本村洋(もとむら・ひろし )氏が、日本では「犯罪被害者の権利が何一つ守られていないことを痛感し」、山一証券代理人弁護士夫人殺人事件の被害者遺族である元日本弁護士連合会副会長岡村勲らと共に犯罪被害者の会を設立した。
(出典:Wikipedia引用)


▼死刑制度存廃論について

死刑制度存廃は様々な論点によって展開されている。突き詰めれば、
各論理も結局のところ矛盾が生じてくる。

国民の8割以上が死刑制度を容認しているということは、論理よりも、
人を殺めたなら死を以って償えってことなんじゃないかとも思えるが。

 【Oisixのおせち料理 】料亭の味をご自宅へ


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

☆消費者を正論で欺むこうとする約款なら無効だ! [ニュース]






 
☆消費者を正論で欺むこうとする約款なら無効だ!


法制審議会(法相の諮問機関)の民法部会は10日、契約ルールなど
債権に関する規定を見直す民法改正要綱案を決めたそうだ。

事業者が消費者に示す「約款」をめぐる規定を新たに設け、消費者の
利益を一方的に害する(不利益をもたらす)ような約款は無効とする。

法制審は24日に要綱案を法務大臣に答申するそうだ。
これを受け、法務省は3月下旬に民法改正案を国会に提出する見通しだ。

今回の改正項目について、法制審はそのほとんどを昨年8月に固めたが、
約款の規制については経済界が反発していて、調整が続いていた模様。



ところで約款は、保険や公共交通機関、インターネットサイトなどの利用
規約として使われている。消費者が約款の内容や存在を知らずに事業者
トラブルになるケースが非常に多く、消費者保護の観点から検討を進め
ていたものである。


要綱案によると、
(1)事業者が約款を契約内容とすることを明示していれば、消費者が理解
していなくても有効
(2)消費者の利益を一方的に害し、信義則に反する約款の条項は無効
(3)契約後の約款の変更は、消費者の利益になる場合などに限定
との原則を明記する。
(出典:時事通信2015/02/10引用)






やっと今になって改正かと思うのだが、「約款」は非常にずる賢く書かれて
いる印象が強い。


特に保険の契約時に発行される約款など、完読する契約者はほとんど
皆無に近い。つまり、読まれていないのが実情ということである。
契約者が理解しにくい、あるいは実際に事故が発生し保険金請求の際、
今回はお支払いできませんというケースが多いのだ。


約款を読まない方も悪いけれど、よほど国語力が無ければ理解に苦しむ
難解な言葉の羅列ばかりで、とても理解するまでには至らないとも言える
のだ。

つまり、わざと難読な文章に書かれていると言っても過言ではないのだ。
悪く言えば正論で欺むいているのとなんらかわりはない。


この際、高齢者でも普通に理解しやすい文章にするようすべきだし、
契約時の説明も再度、注意喚起をすべきであって欲しい。


ネット通販の約款も、販売者側がある意味一方的な優位な立場で、
最後に「同意します」のチェックをクリックしないと、購入できない。

つまり、消費者は異議申立てができない文章構成の場合が多いような気
がしないでもない。 釈然としないケースがあるということなんだけれど、
購入するならチェックをしなければならないし、チェックしたくなければ購入
できないというのも、何だかな~、と思うんだが。


 ★FPによる保険の見直しで、節約できるかも・・・



☆在庫保証・直前チケットをお探しなら

            ↓   ↓   ↓




nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

☆キューバ危機から42年、米・キューバ国交正常化交渉開始へ。 [ニュース]


☆キューバ危機から42年、米・キューバ国交正常化交渉開始へ



アメリカのオバマ大統領が、隣国キューバと「正常化交渉を始める」と、

ホワイトハウスでの記者会見(12月17日)で表明した。




(出典:YouTube公式)


キューバとは1961年以来国交断絶していたが、

キューバのラウル・カストロ国家評議会議長も、

オバマ氏の決断は「敬意と感謝に値する」と評価した。

そして、米国は数か月以内に、キューバの首都ハバナに

大使館を開設する見込みだそうだ。



実はこの正常化交渉は、ローマ法王庁の法王フランシスコが仲介したとされている。


東西冷戦下だったことで国交を断絶し、核戦争の瀬戸際ギリギリまで

に至った、62年の「キューバ危機」で激しく対立した両国の関係は、

歴史的な大転換期を迎えることになった。



交渉進展により、米政府のキューバ制裁が解除・緩和された場合、

キューバでは国内経済が好転するとの期待が高まり、

キューバ国民は歓迎している。



キューバ経済は、1959年のキューバ革命後に、米国の制裁によって

締め付けられてきた。

現カストロ議長の兄、フィデル・カストロ前議長当時のキューバは、

東西冷戦時代、ソ連から全面支援を受けて国家を運営していた。

しかしソ連崩壊(1991年12月)後は、支援を失って、

“自立”しかない状況となっていた。



キューバ政府は2010年から、本格的な経済改革を開始したが、

経済が好転したわけではなかった。

米国の制裁が解除されれば、米企業からも投資が増大し、

経済が劇的に転換するとの期待が非常に高いとされているようだ。

(Yahoo!ニュース一部引用)




ところでキューバ危機とは、1962年10月16日から28日までの緊迫の

13日間だった。


東西冷戦時代のソ連が、キューバでミサイル基地建設計画があり、

それが発覚してアメリカとソ連との間に「よもや核戦争」にまでなりかけた、

全世界を震撼させ緊張した時期のことだ。



なぜアメリカとソ連がキューバ危機を招くに至ったのか、

その原因を調べてみた。



当時、キューバは事実上アメリカに牛耳られていたようだった。

キューバは主にサトウキビが主産業だったが、

農民の多くは地主に利益を吸いとられ、さらに地主はアメリカに利益を

吸いとられる状況で、キューバ国内では不満が募っていた。



ついにカストロ(現議長の兄)が革命を起こした。

ちなみにカストロの右腕といわれたチェ・ゲバラも有名だ。

非常にイケメンで、今でも世界中でTシャツにプリントされたり

映画の題材にもなっている。



このときの革命がキューバ革命で、1959年のことだった。

彼らは土地改革やアメリカ系企業の国有化を進めた。

当然アメリカの反発を招き、その後、国交断絶の道へと向かうことになった。



その結果、キューバがソ連との関係を深めてしまい、

カストロは1961年に社会主義宣言を敢行し、決定的な断絶となった。


翌1962年10月、アメリカがU2型偵察機でキューバの空撮を行った

ところ、ソ連が建設中のミサイル基地を発見し、アメリカは非常に危機感を

抱いたことだ。



当時のアメリカの大統領は、現駐日大使キャロライン・ケネディの実父、

 ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ大統領だ。 

この時ケネディ大統領は45歳という若さだったが、

この危機にどんな決断を下したか?



それはキューバ海域を軍事封鎖したのだ。

艦艇200隻、航空機1200機を動員したそうだからその本気度が

ハンパではない。



大統領の誤った判断や、制服組(軍部)のタカ派が万一勇み足的に、

空爆でも仕掛ければ当然ソ連は報復として真っ先にベルリンに侵攻し、

第三次世界大戦にもなりかねない状況だったわけだ。

当時の緊張は、もはや核戦争に発展するだろうと考えられていた。



アメリカのケネディもソ連のフルシチョフも、核戦争という最悪のシナリオ

にはしたくない思惑もあり、

ソ連は、「トルコにあるアメリカのミサイル基地を撤去すれば、

キューバのミサイル基地も撤去する」という提案により、

ケネディはそれを承諾し、最悪のシナリオを回避することができた。



そしてホワイトハウスとクレムリンを直接結ぶいわゆるホットライン協定や、

部分的核実験停止条約などの締結もされるようになったそうだ。



両首脳の勇気ある決断や実行力が、後世の人々の平和につながってきている

ことが良く分かる。


「人類は戦争に休止符を打たなければならない。
そうでなければ、戦争が人類に休止符を打つことになろう。」
 【ジョン・F・ケネディ】



「戦争は小銃の偶発から始めることができる。
しかし戦争を終結させることは、経験豊かな国家指導者でさえ
容易な事ではない。 流血をとどめるのは、ただ理性だけである。」
 【ニキータ・セルゲェヴィチ・フルシチョフ】




nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

☆YS-11命拾い? スクラップ解体直前に落札される。 [ニュース]


☆YS-11命拾い? スクラップ解体直前に落札される。





(出典:YouTube公式)



国土交通省が保有していた、戦後初の国産旅客機「YS11」の

最後の1機の入札が17日、同省で行われ、大阪府八尾市の

航空機販売会社「エアロラボインターナショナル」が

223万200円(消費税込み)で落札したとのことでした。



続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

☆腹腔鏡(ふくくうきょう)肝臓手術で8人死亡の異常事態。 [ニュース]

☆腹腔鏡(ふくくうきょう)肝臓手術で8人死亡の異常事態。



群馬大学医学部附属病院(前橋市)で、2010年12月から今年5月までに、

肝臓手術を受けた60代~80代の患者8人が手術後に死亡した。

そのうち最も早く死亡した患者はわずか2週間後だったようです。


この件で病院は14日、記者会見において明らかにしました。

事態は、肝臓の腹腔鏡(ふくくうきょう)手術を受けた患者92人のうち、

8人が手術後3カ月の間に死亡したというものでした。

亡くなった8人を執刀したのは、同病院消化器外科の40代の男性医師(助教)でした。

この問題で、病院は調査委員会を設置して原因を調べているとのことです。




亡くなった8人が受けた腹腔鏡手術は、腹部に穴を空け、

カメラやその他手術器具を入れて行う、極めて難度の高い手術でした。


このような高難度の手術は本来、事前に院内の「臨床試験審査委員会」という

審査で承認を受ける必要があるにもかかわらず、この男性医師は、

申請せずに手術を行ったということでした。




病院側は事態を重く受け止めて、今年8月に調査委員会を設置しました。

そして、手術の内容について詳しく調べているものの、現在までのところ、

手術と死亡との因果関係は分かっていないということです。



また、群馬大学病院は重粒子線治療の研究を行うなど、

極めて高度な医療を行おうとする医療機関を承認する立場の

「特定機能病院」のひとつと言われています。



塩崎恭久厚生労働相は14日の記者会見で、

「死亡との因果関係など事実関係を正確に把握し、病院からの報告聴取など

適切に対応する」と述べ、調査を行う方針を明らかにしました。



しかし何故、8人もの患者が相次いで死亡したのか?

最初に犠牲?になった患者に対して調査しなかったのか、

という疑問が残る。

手術することは、治療改善が見込まれるから行ったはずである。

しかし残念ながら手術の甲斐もなく・・、ということも想定はできるけれども、

その時点で、検証は行われなかったのか、とも言えるのではないだろうか。



そもそも、この助教が執刀する際に他のスタッフ職員や上級責任者などと、

術前ミーティング等が適切に行われていれば防げた事案のように思えるのだが

そういったマニュアルというか、手順という決まり事がなされていないのであれば、

患者は安心して受けられないし、実にずさんとしか言いようがない。



おそらく術前のミーティングはあったであろうとは思うけれども、

助教ひとりで、委員会の承認を申請ぜずに勝手に行ったのか、

あるいは、申請することを知らなかったのか、

あるいは、上級責任者のチェック体制が機能していなかったのか、

様々な要因が重なったと思われるし、と同時に、

患者の生死に関わる重責に対する組織のあり方も問われるべきである。




nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

☆来春の花粉予測、平年の1.5倍がどうしたって? [ニュース]

☆来春の花粉予測、平年の1.5倍がどうしたって?


某ウェザー社(千葉市○○区)が、来春の花粉飛散量(関東地方)が

平年の1・5倍に増えるとの予測を発表していた。


中国・四国や九州では、平年より少なくなる見込みらしい。

で、花粉は来年2月ごろから増え始めるそうだ。

同社によれば、東日本は今夏、晴れた暑い日が続いたため、

スギやヒノキの雄花が成長したことによるためなんだそうな。


飛散量は平年の1・3倍の見通しとみられるけれど、

関東は多い日で1・5倍となるらしい。

平年より少なかった今春との比較では2~3倍の予測らしいけれど、

花粉症に弱い人は、気の毒と言える。


飛散は来年2月頃かららしく、スギ林の多い北関東で花粉が飛び始め、

それから首都圏にも飛散量が増える見込みだそうだ。



それで、近畿では平年並みか、1・3倍程度とか、

天候としては曇天が続いていた中国・四国、九州では、

平年を下回るとか、しかも今年の半分程度となる地域も

ありそうだ、との予測ではあるけれど、


そもそも花粉症が近年、”国民病”の代名詞のようになった

のはいつからなんだ?  という話になってくる。

昔は聞いたこともないのは確かなようだ。



ところで、我が国で”スギ花粉症”が発見されたのは1963年

だと、いうことのようだ。


実は論文として発表されたのが1964年、オリンピック後の経済発展

に歩調を合わせて増加してきたらしい。


1979年には花粉が大飛散し、花粉症の激増をもたらしたと

言われ社会問題にまでなったとかだが、あまり覚えてない。



いわゆるアレルギーということなんだろうが、

食生活が豊かになったから、つまり動物性蛋白質や脂肪

の摂取が増えたためと言われているそうだ。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

☆ノーベル賞受賞は、戦後22人は少ないのか? [ニュース]

☆ノーベル賞受賞は、戦後22人は少ないのか?

以下、受賞者を調べてみたら

1949年 湯川秀樹 博士 物理学賞 :中間子の存在を予言

1965年 朝永振一郎 博士 物理学賞 :量子電磁力学の基礎的研究

1968年 川端康成 氏 文学賞 :『雪国』、『伊豆の踊子』など叙述の卓越さに

1973年 江崎玲於奈 博士 物理学賞 :半導体・超電導体トンネル効果の発見

1974年 佐藤栄作 首相 平和賞 :核兵器保有に反対、非核三原則の提唱

1981年 福井謙一 博士 化学賞 :化学反応過程に関する理論の発展に貢献

1987年 利根川進 博士 医学生理学賞 :多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明

1994年 大江健三郎 氏 文学賞 :『個人的な体験』など、現代の人間模様を描いた

2000年 白川英樹 博士 化学賞 :「伝導性高分子の発見と開発」に貢献

2001年 野依良治 博士 化学賞 :「キラル触媒」による不斉(ふせい)水素化反応の研究

2002年 小柴昌俊 教授 物理学賞 :素粒子ニュートリノの観測による新しい天文学の開拓

2002年 田中耕一  化学賞 :生体高分子の同定及び構造解析のための手法の開発

(2008年 南部陽一郎(米国籍)物理学賞: 「弦理論」「自発的対称性の破れ」の基礎)

2008年 小林誠  物理学賞 :小林・益川理論とCP対称性の破れ発見、素粒子物理学の貢献

2008年 益川敏英  物理学賞 :小林・益川理論とCP対称性の破れ発見素粒子物理学の貢献

2008年 下村脩 博士 化学賞 :緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見と生命科学への貢献

2010年 鈴木章 化学賞 :クロスカップリングの開発

2010年 根岸英一 化学賞 :クロスカップリングの開発

2012年 山中伸弥 教授 医学・生理学賞: iPS細胞の開発

2014年 天野浩 博士 物理学賞:高輝度青色発光ダイオードの発明

2014年 赤崎勇 博士 物理学賞:高輝度青色発光ダイオードの発明

(2014年 中村修二(米国籍)物理学賞:高輝度青色発光ダイオードの発明)

ということだった。



第1回ノーベル賞候補では、北里柴三郎や野口英世などが候補

としてエントリーされていたが、時代的に受賞に至らなかったらしい。

また、世界初のビタミンB1単離に成功した鈴木梅太郎

は、ドイツ語への翻訳の際、「世界初」を不記載したことで注目

されず、1929年のノーベル賞を逃したと言われている。



さらに、1970年には大澤映二・北海道大学理学部助教授(当時)は、

フラーレン (fullerene C60) の存在を理論的に予言したが、

英語論文にしていなかったため、1996年のノーベル賞を逃した

と言われている。この一連の顛末は、科学雑誌ネイチャー

(第384号、96年12月26日発売)にも掲載されたんだって。


このように観てみると、なんだかもったいない気がする。

と言うより、関係機関やOB、研究者らの積極的な支援体制

必要ってことなのかも知れない。

いわゆるロビー活動ってこと?


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

☆不発弾を物置のドアストッパーにするとは自衛隊員も絶句! [ニュース]

☆不発弾を物置のドアストッパーにするとは自衛隊員も絶句だろ!


驚愕なニュースみて、信じられん!


札幌で、道警豊平署に「砲弾のようなものがある」という届け出が

あったとか。


通報は市内の無職男性の妻からで、男性は砲弾を自宅の物置の

ドアストッパーとして使っていたというから驚きだ。


危ないと思った妻が警察に届け出たということだけど、確かに

誰だってそりゃあ思うでしょう。



この砲弾は20年以上前に、男性が知人から譲り受けた

ものだそうだけど、



警察から連絡を受けた陸上自衛隊は、すぐにこの砲弾の

撤去に取りかかったが、

さすがに自衛隊員も、こんな使われ方???をしていたとは、



と思ったかどうかは別として、絶句!は言うまでもないだろう。



当然ながら、爆発する危険があるとして、付近の約50世帯70人

を避難させたとのこと。


何はともあれ、この騒動の発端となった件の、知人から譲り受けた

というのがそもそも呆れる。



譲り受けた方もおかしいが、譲る方も常軌を逸している。

双方で安心しきっていたのだろう。それが、何の根拠が

あってのものなのかは当事者じゃなきゃ分からない。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

☆御岳山噴火の危険性は、事前にNHKニュースで報じられていた? [ニュース]


☆御岳山噴火の危険性は、事前にNHKニュースで報じられていた?


9月27日の御嶽山噴火による犠牲者は1週間経った今日までに、
戦後最悪の51人という報道があった。


【出典:YouTube公式】


なぜ“異変”があったのに防げなかったんだろう。


気象庁が御嶽山に「噴火警戒レベル」を導入したのは、
平成20年3月31日からとか、なんか最近って感じに思えてしまう。


導入以来6年以上も警戒レベルは1のままだったらしい。
毎月、「火山活動に特段の変化はなく、静穏に経過しており、
噴火の兆候は認められない」との報告を出し続けてきたとされている。

噴火の2週間前には、群発地震が増加していたにも拘らず、
気象庁の噴火警戒レベルは1のままだったらしい。
関係自治体も対策を講じていなかったとされている。何んだろ?


実際には、先月9月11日に、月例報告とは別に、周辺の自治体等に対して、
山頂付近で火山性地震が昨日(10日)昼ごろから増加していること、
さらに、翌12日にも、

火山性地震の回数が増加し、昨日(11日)は85回発生し、
1日当たり80回を超えたのは、2007年1月17日以来です

などと速報を出していたとされている。



これによって、同日には、NHKのローカルニュースで、

  岐阜県と長野県の境にある御嶽山で、10日昼ごろから火山性の地震が
  増えていることや、気象庁は火口付近では火山灰などの噴出に注意す
  るよう呼びかけていることを伝えていた。 

  観測によれば、10日昼ごろから山頂付近を震源とする火山性の地震が
  増え始め、10日は51回、11日は71回(午後3時までに)観測され 1日の
  地震の回数が50回を超えたのは平成19年1月以来・・、

などと報道していたようだ。



そう言えば、2000年に噴火した北海道の有珠山は「観光地」で
ありながら、自治体として学者の予知を支持し、犠牲者を出さなかった
ことが、火山噴火史上の“奇跡”として再注目されているらしい。

  当時、周辺自治体は、すでに2日前には近隣住民ら約1万人を避難させ
  たそうで、
  噴煙は約3000メートルにも達し、国道が寸断される被害に見舞われた
  ものの、人的被害はなかったとも。

☆反対の声を押し切ってハザードマップ作成!

それって、北大教授の学者らと自治体の連携が功を奏したってこと?

  周辺自治体の壮瞥町によれば、1910年の噴火の際には、東京帝国大
  の教授が壮瞥町に地震計を設置し観測を行い、以後、噴火時には学者
  が地元と協力してきたという歴史的背景があったとはスゴイと思う。

  77年の噴火直前には、北大有珠火山観測所を設置した経緯があって、
  その後、00年の“奇跡”を導いたのは、NPO法人(研究所)と北大のO
  教授だそうで、81年から21年間、北大有珠火山観測所に勤務され、
  83年からは小学生を対象にした火山教室や、住民に向けた登山会を開
  くなどして地域の“信頼”を得てきたそうですから、ほんとに立派と思う。


観光地ゆえに「ハザードマップなんてとんでもない」という意見もあった
そうで、ハザードマップを作って、防災体制を整える重要性を訴え続け
てきたことは、やはり学者としての熱意が伝わってくる。

今回の噴火で、O氏は「御嶽山は予知できた。もっと担当職員に火山の
勉強をさせて対策をとらせるべきでした」と述べたそうで、
 
O氏は、「活火山を抱える自治体には『専門チーム』が必要」である、
と提言しているそうです。


いずれにしても、北海道有珠山噴火の教訓が生かされなかったのは、
とても残念に思う。犠牲者のご冥福を(合掌)。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感
ニュース ブログトップ
Sponsored links にほんブログ村 ニュースブログ 気になるニュースへ
にほんブログ村
介護 手助け

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。